東京そぞろ歩き(4)
上野の森
坂本弘道
故郷の訛り聴く
上野界隈は、明治維新直後、官軍と幕府軍との戦場となり、寛永寺も焼失した。明治23年、上野の森は宮内省の管轄となり、その後東京市に譲渡されている。そのような経緯から、今も上野恩賜公園と言っている。
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 石川啄木
この停車場は上野駅。上野駅は、東北新幹線が東京まで延長されるまで、明治時代以来、東北からの列車の終着駅だった。
終戦直後は、浮浪民であふれ、高度経済成長期には金の卵ともてはやされた集団就職の子供たちが降り立つ場所であった。
春は桜の名所としてにぎわい、秋は銀杏の黄色が見事だ。動物園のパンダも上野公園の人気者だ。
アメヤ横丁の賑わい
上野駅近くのアメヤ横丁は、JRの線路に並行してさまざまな雑貨屋や魚屋などがならんでいる。年の暮れには、おせちの材料を目当てに沢山の人が集まる。私もその一人だ。
アメ横に財布しつかり年の暮れ 弘道
上野東照宮
公園の動物園の横に上野東照宮がある。1627年、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公を祀ることで神社として建てられた。
その境内に大きなクスノキがそびえている。東照宮建設以前からあったものを、そのまま保護してきたもので、樹齢600年と言われている。本殿に至る参道の両脇には、全国の大名が寄進した48基の銅灯篭が並んでいる。がっしりと建てられており、関東大震災の時も倒れなかったという物だ。その他に、約200基の石灯篭がある。大名がこぞって寄贈したものだ。
また、大石鳥居の脇には、高さ6,8mの大きな灯篭があり、大きいのでお化け灯篭と言っている。名古屋の熱田神宮、京都南禅寺の大石灯篭と合わせて日本三大石灯篭に数えられている。社殿の前の唐門も国指定重要文化財だ。
柱内外の4額面には、左甚五郎作の昇り龍、降り龍の彫刻がある。甚五郎は、日光東照宮の眠り猫でも有名だ。
本殿の東西南北を取り囲む透塀(すきへい)は、菱格子でむこう側が透けて見えることからこのように呼ばれている。
格子の上段には野山の動植物、下段には海川の動物の彫刻が200枚以上ある。鳥も雀、鳩、目白、鴨などポプラ―なものから、鸚鵡のように江戸時代には珍しかったものまで多種にわたっている。
これらの彫刻は江戸の職人の心意気を表したものである。今日では見学者に分かりやすいように、それぞれの彫刻の前の手すりには、鳥の名前が書かれている。
本殿は、分厚い金箔で覆われ、葵の紋が瓦の端々に刻まれている。まさに江戸幕府の権力を象徴した建物だ。本殿の中は、文化財保護のため立ち入りはできない。
境内には橘が植えられ、今ちょうど黄色い実を付けている
不忍池弁天堂
上野の丘は江戸時代の初め、郊外で寂しい山であった。そのふもとに池があり、この辺りは、琵琶湖と比叡山の地形によく似ていた。
徳川将軍に信任された天台宗の天海大僧正は、1625年、上野台地に東叡山寛永寺を創立した。京の都の鬼門にあたる比叡山にちなみ、関東の叡山ということで東叡山とした。
不忍池の弁天堂は、東叡山のお堂だ。この中ほどに、古くから小さな島があって、聖天さまを祀っていた。天海僧正は、寛永寺を建てて数年後、琵琶湖の竹生島にちなんで不忍池に島を築くことにした。
上野の山の土を船で運び、わずか10日間で大きな島を築いたといわれている。この島に建立したお堂に弁天を祀った。当初は、お参りは船で往復したが、そのうち陸橋ができて、便利になった。蓮が植えられたのもこのころからである。
江戸時代の葛飾北斎の絵にも不忍池弁財天の図がある。丸い橋を真ん中に実好きになっている。
弁天堂は、空襲で焼失したが、ご本尊の弁天様や大黒様は無事だった。昭和33年には、鉄筋和風の本堂が完成した。
上野の丘の急な階段を下り、参道を歩いた。両側には、イカの照り焼き等の店が並ぶ。周りの水面には枯れたハスが、首を垂れたように並んでいる。夏のさなかには、青々していたが、いよいよ本格的な冬の到来だ。
不忍の水面を占めし枯蓮 弘道
本堂に入ると、大間の天井には龍が墨で描かれている。小さな間には四季の花々が色どりを添えている。
弁天様にお賽銭を供え、手を合わせた。弁天様は、寿命増益、福徳円満を授かるということだが、音楽芸能の神様としても信仰されている。
東京芸大の構内
都立の美術館の奥には、東京芸術大学がある。日本の絵画、彫刻、音楽等の教育、研究の最高峰だ。絵画では、横山大観、藤田嗣治、平山郁夫等、音楽では芥川也寸志など多くの芸術家を世に送り出してきた。
構内に専属の美術館もあって、公開されている。彫刻を扱うあたりでは、巨大な岩石や木が並べられ、フォークリフトで持ち運びをしている。雨さらしの空き地には、作りかけの彫刻が無造作に置かれている。
構内の食堂は、素朴でフランクだ。カウンターで注文すると、係りのおばさんが盛り付けてくれる。値段も割安で、学生相手だけあってボリュウムもたっぷりだ。
学生たちの会話に耳を傾けると、教職の単位をとるとか、就職をどうするとか、現実の声に接することができる。好きなことに青春をかけることは、すばらしく、若ければこんな生活もしてみたいとも思う。でも、芸術で世の中わたってゆくのは大変なことだろう。(月間コア掲載一部修正)