東京そぞろ歩き(9)吉祥寺界隈 ハモニカ横丁から井の頭公園へ

東京そぞろ歩き(9)

吉祥寺界隈 ハモニカ横丁から井の頭公園へ

坂本弘道

武蔵野の吉祥寺

 吉祥寺は、東京駅から中央線で西へ30分、井の頭線で渋谷から20分程の距離だ。
 武蔵野市内のJR吉祥寺駅の一部の地域に、吉祥寺という地名が残っているが、吉祥寺という寺はない。江戸時代の初期の明暦の大火で、焼け出された江戸本郷元町(現在の水道橋付近)の諏訪山吉祥寺の門前町の人達が、この地に移住したいきさつから、吉祥寺という名がついている。丁度その頃、江戸に水を運ぶ玉川上水が完成していたことにより、この辺りが畑地として開墾された。
 明治時代には田舎だったが、今日では中央線のメインの駅になっている。昭和30年代に駅周辺の都市計画も進められ、大型の商業ビルや商店が密集している繁華街である。ちなみに武蔵野市の人口は14万人余りだ。
 駅からそう遠くない地域に住宅が並び、日本で住みたい街ランキングの第1位にもなっている。

 

ハモニカ横丁

 吉祥寺駅前の広場を横切ると、すぐにハモニカ横丁だ。すれ違うのがやっとの狭い通路の両側には、食べ物屋や魚屋、雑貨屋等が、雑多に並んでいる、昔からの飲食店街だ。「おふくろ屋台」のランチはワンコイン定食、牛すじカレー、牛すじ丼とある。飲み屋の椅子が通路にはみ出している。

 

 

 ローズマリーで焼くローストチキン、1羽1600円より。「みんみん」の餃子もある。
ハモニカ横丁一帯は、ダイヤ街等のモールの施された大通りや、それに直角に横切る幾つもの路地などから成り立っていて、そのほとんどが商店だ。
 「小ざさ」という菓子店の「最中」は有名で、何時、前を通っても列ができている。「さとう」という肉屋のメンチカツは人気があり、ここも列ができている。豚カツ、牛カツ、コロッケもテイクアウトだ。並びは鯛焼き屋だ。「土屋商店」は、乾物の専門店で、暮れには一杯の人だ。
 わざわざ新宿や池袋に出なくても、たいがいの物はここで間に合う。でもデパートは、以前は伊勢丹や近鉄もあったが、いずれも撤退し、今は東急のみとなった。その代り、駅ビルの商店街などが繁盛している。デパートも様代わりしている。

 

井の頭恩賜公園

 JRの線路をへだてて、ハモニカ横丁と反対の南側に、井の頭恩賜公園がある。公園は武蔵野市御殿山と、三鷹市井の頭の地域にまたがっている。井の頭線の高架が公園の中をまたいでいる。 井の頭恩賜公園は、1917年(大正6年)開園した。石神井公園の三宝寺池、善福寺池と共に、武蔵野の3大遊水地である井の頭池が、公園の真ん中を占めている。公園の桜は、日本100名所にも選ばれている。
 花見の季節には、身動きができないほどの見物客が押し寄せる。今年の花見も、オミクロン株のコロナが収まっていないにもかかわらず、にぎわっている。池にはみ出した桜の幹に、1m近い長さの蛇がのんびりと欠伸をしている。成れているのか、人並みには驚かないようだ。
 池はその昔、豊かな湧水を誇っていて、江戸時代に設けられた神田上水の水源でもあった。今日では、近辺の地下水くみ上げにより、湧水量は少なくなったが、それでも弁財天の近くの水面には、砂を巻き込んで湧き上がる水を見ることができる。

 

 緑陰や湧水が砂巻き上げし 弘道

 

 弁財天にお参りし、銭洗い弁財、龍の形をした石像から流れ出ている。ご利益がありますようにと。

 

 池の水は、周辺の開発や物の投げ入れなどで、この所ずっと濁っていた。以前の清浄さを取り戻そうと、この数年、池の水を干し上げる、いわゆる「かいぼり」が行われた。

 池の中からは、びっくりするほど多くの自転車、オートバイなどが引き上げられた。池に投げ込むなんてとんでもないことをするものだ。また、ブルーギルやカミツキガメなどの外来種も、沢山池から取り除かれた。絶滅するかどうか。

 かいぼりの、後水が張られた。しかしこの夏の暑さかアオコが大発生し、水面は緑に濁っている。アオコの間を、残り鴨がえさを求めて泳いでいる。せっかくかいぼりしたのに、すぐには効果が表れないらしい。

 

水生物園

 井の頭公園の一角に水生物園がある。ここは井の頭自然文化園の動物園の分園だ。池に囲まれた半島のような地形にある。その中に水生物館がある。入ったところに、ウグイがいて、放し飼いになっている。子供たちが手を突っ込んで魚に触っている。触れてもいい体験水槽だ。
 水の中に住む蜘蛛が、水草の中を動いている。世界でも水中で生きる蜘蛛は、この水蜘蛛だけだ。水中に藻や茎を利用して蜘蛛の糸をぐるぐる巡らせて、ドーム状の幕を張り、空気の家を作って、その中で食べたり、卵を産んだりする。水中の空気を巧みに取り込み、お尻で息をしている。ほとんど水面に顔を表さず、生きている。変な蜘蛛もいるものだ。
タガメが、両手で小魚を咥えこんでいる。同じ水槽に小魚が泳いでいる。タガメの餌だ。なんと残酷な。
 大きな水槽では、カイツブリが潜っている。水中での様子が見ることのできるような水槽だ。器用に岩の間に餌を求めている。巧みな泳ぎがよく判る。
 外来種のカミツキガメや、ミドリガメもいる。じっとこちらを向いている。指を近づけると、噛みつかれそうだ。でもガラスがあるから大丈夫だ。
 いもりが水に沈んでいる。腹の部分が赤い。子供の頃、京都の田舎の溝で、よく見かけたものだ。オオバコの茎を結んで、ひっかけて取ったりしたものだ。

 

 裏返り赤腹見せしイモリかな  弘道

 

 オオサンショウウオはさすがに大きい。日本産だ。のったりと寝転んでいる。最近、外来のサンショウウオが、京都の加茂川などで見つかるという。日本古来のものを、保存しなければならない。

 

井の頭恩賜動物園

 恩賜動物園は、象のはな子が長らく住んでいたが、2016年(平成28年)、69歳の老齢で亡くなった。晩年は、おばあさんになり、歯が抜けて見るからに元気がなかったが、それでも愛嬌を振りまいていた。
 この象は、1949年(昭和24年)にタイから送られたもので、しばらくは上野にいたが、その後はずっとこの動物園で過ごし、名物になっていた。侵入者や飼育員が、踏まれて亡くなるという悲しいこともあった。
 はな子を偲んで、JR吉祥寺駅の広場には、最近銅像が建てられた。本物よりだいぶ小ぶりだ。でもバスを待っている人達を和ませてくれる。

 

 花祭像のはな子が足を上げ 弘道

 

北村西望彫刻館

 井の頭自然文化園の一角に、北村西望彫刻館があり、屋外にも北村の作品が多数展示されている。北村は、1884年(明治17年)の生まれ。東京美術学校出身で、1987年(昭和62年)102歳で亡くなった。文化勲章を受章している。
 北村は、長崎の平和記念像を作成した彫刻家だ。彫刻館に入ると、平和記念像の作成過程を示す資料が展示されている。平和記念像の現像もおかれている。アトリエ館は、長崎の平和記念像を製作したところだ。
 屋外には天女の舞、平和の女神、若き日の信長、聖観世音菩薩、健康美、快傑日蓮、検討、加藤清正、将軍の孫等の作品がある。 北村の作品は、力強い。

 小さな子が帽子をかぶった将軍の孫は、大正時代の作品だ。私は、西望の彫刻では、天女の舞が好きだ。レリーフも造られている。
 北村の書も、独特の味わいがある。私の参加している亜細亜美術協会の展覧会の画集の題字も、北村の作だ。

 吉祥寺には、若者に人気のある靴や服のおしゃれな店、ベネチアグラス、チェコのアクセサリ、トルコじゅうたんなど、そしてカフェや、様々な国の料理店も沢山ある。探せば、なんでもありそうだ。
吉祥寺は、このようににぎやかな繁華街と、静かな自然によって成り立っている。近くに東京女子大学や成蹊大学があり、若者の多い街だ。公園近くのジブリ美術館も子供に大人気だ。自然を大切にしながら、近代的な雰囲気も堪能できる、活気に満ちた地域だ。吉祥寺は、健全な雰囲気の盛り場だ。(月刊『コア』掲載一部修正)

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