東京そぞろ歩き(12)迎賓館赤坂離宮

    迎賓館赤坂離宮

                  坂本弘道

 赤坂離宮

 JR四谷駅を降りて、徒歩数分で赤坂離宮に到着だ。

 坂離宮の敷地には、紀州徳川家の江戸中屋敷があった。20万坪の広さである。離宮の地続きに、赤坂御苑や東宮御所や、宮家のお住まいがある。赤坂御苑の庭では、毎年園遊会が催されている。

 赤坂離宮は、明治32年(1899)着工し、10年の歳月を経て明治42年(1909)に完成した。戦後しばらくは、図書館になっていたが、改装され現在の姿になった。

 

玄関ホール 

 床には、イタリア産の白色大理石と、国産の黒色玄昌石が、白黒の正方形として、互い違いに市松模様で並んでいる。

チェス盤の様だ。ホールの両側には2本づつ合計4本のフランス産の花崗岩の大円柱が立っている。天井は石膏レリーフ、床には、大燭台が4つ置かれている。

入り口のドアは、来賓を迎える時は開かれるが、普段は、閉じられている。

 

彩鸞(さいらん)の間

 部屋の装飾は、19世紀初頭のナポレオン1世の時代に流行したアンピール様式である。アンピール様式の代表作は、パリの凱旋門である。装飾は、石膏金箔張レリーフだ。

周りの壁には、10枚の大鏡が取り付けられて、部屋全体を広く見せている。天井からは、三つのシャンデリアが下がっている。床は欅の寄木細工だ。まるで箱根の寄木細工を、大きくちりばめたような形で、床全体を埋め尽くしている。

彩鸞のいわれは、東西の大鏡の上部と、マントルピースの両脇に飾られた、鸞という鳳凰の一種の霊鳥が、翼を広げていることから名付けられている。

 

花鳥の間

 花鳥の間の由来は、天井に描かれた36枚の油絵と、壁面を飾っている36枚の楕円形の七宝である。

 壁面の七宝の額は、四季折々の鳥を主体に、それにふさわしい花、草、木などが描かれている。雀に稲、駒鳥に藤、雉に蕨、百舌に山茶花といった具合だ。

 この部屋で、国賓等の晩餐会などが開かれる。

 

その他の部屋

 羽衣の間は、謡曲の羽衣の景色を描いた天井画に由来する。300平方メートルと広く、舞踏会用に作られ、オーケストラボックスもある。

 朝日の間は、天井に朝日を背にして、女神が4頭立ての馬に乗って、天空を駆ける姿が描かれている。

 二階の大ホールの正面には、小磯良平作の「絵画」「音楽」と題した、200号の大きさの油絵が左右に掛かっている。

 本館全体を見学して、白のボードと金箔で飾られた壁面の豪華さ、そこにちりばめられたレリーフに、兜など日本独特のものが組み込まれていることに興味を持った。

本館を庭から眺めると

 本館の外に出た。本館の南側には、大きな噴水がある。噴水を囲んでいるのは、ヨーロッパのドラゴンと亀だ。芝生の中に植えられた松は、穂先の葉を残して、きちんと剪定がなされている。その奥には、池が見える。

 

迎賓館広場の隅に花菖蒲  弘道

 

広場に面した植え込みに、エリザベス女王お手植えの、イングリッシュ・オークがみられる。洋館から和様建築に至る小道は、訪れた前アメリカ大統領にちなんで、トランプロードと名付けられている。

 

游心亭

 池を挟んで切妻屋根の平屋が現れた。游心亭と呼ばれている。

 玄関の左には、盆栽が幾つもおかれている。古いのは170年ものだ。建物に面した浅い池は、まるで鏡のように滑らかだ。

 

游心亭鏡の池に緋鯉かな  弘道 

 

 靴のまま、玄関に入った。黒い玄昌岩の上に布が敷かれている。

 渡り廊下をゆくと、坪庭が見える。庭の奥には、埼玉県産の孟宗竹が植えられている

 いよいよ別館の主室の広間の見学だ。敷石で靴を脱いで、取次の間に上がる。スリッパに履き替える。賓客は、床暖房なのでスリッパは履かないという。広間は47帖の広さだ。外国の賓客のおもてなしには、掘りごたつのようにしつらえたテーブルに座る。

広間から池の向こうに築山が見える。広間の前の廊下の窓の下は、先ほどの錦鯉の池だ。この池に当たる日差しの揺らめきは、建物の中に映し出される。人の気配がすると、鯉が寄ってくる。

 奥には即席料理室があり、数人だけのカウンターになっている。寿司、てんぷらなどをカウンターの中で作るのを見ながら、リラックスして和食を楽しむ嗜好だ。

 

茶室棟

 また奥には茶室棟がある。茶室の天井、壁などには割竹張りなど、和風の粋が刻まれている。

 玄関の前面には、ヒマラヤ杉等の大木が伸びている。その先にあるビル群の、目隠しになっている。正面の一部の樹木が、台風の被害を受けて、空間がむき出しになり、遠くのマンションが目に入る。新たに植えた木の成長を待つばかりという。

 赤坂離宮は、この100年の間、歴史に翻弄されて今日に至っている。どれを見てもその折々、日本の最高の技術、芸術を駆使して、国を挙げて形造ってきたことが判る。その成果が国宝になり、日本の大事な外交の場面に、日本の客間として役立っていることは素晴らしいことだ。                                     

                            (月刊『コア』掲載文を加筆修正)

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