変わりゆく渋谷駅界隈
坂本弘道
渋谷発展の経緯
渋谷は、四方から落ち込んだ谷底のような地形になっている。そこに渋谷川が流れている。渋谷川を眺めて、童謡「春の小川」が作られた。その頃は、のどかな風景だった。
渋谷が本格的に発展するきっかけは、1885年(明治18)に山手線が開通してからだ。その後、東京市電、玉川電鉄、東急東横線、京王井の頭線等のターミナルとなった。
なかでも五島慶太の率いる東京横浜電鉄(現在の東急)が、渋谷駅近くに東横百貨店を建設、周辺の整備を図ってきたことが大きい。
スクランブル交差点
渋谷が海外で有名になったのは、忠犬ハチ公の銅像のある広場の近くのスクランブル交差点だ。交差点を多くの人が、スムーズに交差しながら渡ってゆく。一回の信号で、3、000人が渡ることもある。外国人が珍しそうにスマホで撮影している。交差点の真ん中で立ち止まって、眺めている人もいる。
スクランブルすれ行く人の夏帽子 弘道
忠犬ハチ公
渋谷の待合場所と言えば、忠犬ハチ公だ。忠犬ハチ公は、戦前の終身の教科書にも「恩ヲ忘レルナ」の話題として採用された有名な秋田犬だ。秋田犬は、フィギアスケートのロシアのザギトワ選手に送られたことでも話題となった。
高級住宅街である松濤に住んでいた上野教授は、ハチ公を渋谷駅まで連れてきていたが、翌年に急死した。その後も夕方には渋谷駅にやってきて、飼い主の帰りを待ち続けた。
これが世間の話題となり、1934年(昭和9)にハチ公の銅像が建てられた。
夕涼みハチ公前で待ち合せ 弘道
ハチ公の銅像は、太平洋戦争の金属供出で、1944年(昭和19)に寺院の鐘等と共に撤去した。しかし戦後に再建され、今日に至っている。チ公のはく製は、上野の国立科学博物館に保存されている。
岡本太郎の壁画「明日の神話」
京王井の頭線の渋谷駅を降りると、岡本太郎の壁画「明日の神話」が、通路に広がっている。この作品は、核兵器に焼かれる人間を描いている。
1954年に、アメリカの水爆実験により、被爆した第五福竜丸をモチーフにしている。絵の左側に平安な世界の人々が描かれており、右に向かって強烈な炎が走っている。パブロ・ピカソの反戦壁画「ゲルニカ」と比較される。
大改革の渋谷駅界隈
渋谷駅と周辺は、100年に一度という大改造が進行中だ。10年ほど前から工事が始まって、最終完成が2027年(令和9)という。 すでに「ヒカリエ」、「渋谷スクランブルスクエア」、「渋谷ストリーム」「渋谷ヒカリエ」が完成している。
「渋谷ヒカリエ」は渋谷駅と直結、このビルの中に、ショッピング施設「シンクス」、「東急シアターオーブ」、「ヒカリホール」等の文化施設が誕生した。
渋谷区役所、渋谷公会堂も立替えオープンした。
東急東横線渋谷駅が地下に移転、地下鉄副都心線と直通運転が可能となった。この連絡にまた、メトロ銀座線の渋や駅も81年ぶりに新しくなり、JR埼京線のホームも山手線のホームの横になり、乗り換えが便利になった。
東急プラザのビルも、「渋谷フラクス」という18階建てに代わった。東急プラザはインターネットの会社「GMO」と共に入っている。
山手線の線路わきに長細く設置されていた宮下公園も再開発され、東急東横店も閉店、新たなビルとなる。
昭和以前の建物が軒並み壊され、新たなビルに入れ替わる。渋谷の中核が全面的に、舞台が入れ替わることになる。
山手線に沿った桜丘の地域は、雑居ビルなどが取り払われ、更地に近い状態になっている。将来は、ここに道路を建設、新たにビルが建てられる。渋谷改造計画が完成すると渋谷はすっかり様代りする。
市街化によって、渋谷川も暗渠となったが、最近これを地上に復活させ、川縁にレストランなどを整備する動きがある。
渋谷スクランブルスクエアの屋上「SIBUYASKY」
「渋谷スクランブルスクエア」は、新たに設けられたビルの一つだ。屋上が、展望台として開放されている。「SIBUYASKY」だ。昇ってみた。天井に映し出される、空中に引き込まれるような画像と共に、エレベータが一気に駆け上がる。
地上47階建ての屋上で、230mの高さだ。障害物がなく、360度周辺が見渡せる景色は圧巻だ。屋上なので、真っ青な空、その下に広がる東京を、太陽、風と共に肌に感じることが、他の展望台とは違う。
展望台緑陰の森あちこちに 弘道
まさに、東京のど真ん中の、小高い山の天辺にいる感じだ。渋谷は東京23区と一部の東京湾を入れると、中心に近い位置にある。
広大な広場で、周りをガラスで囲まれているので、転げ落ちる心配はない。富士山の見えるコーナは、ビルの垂直面から少しはみ出しており、記念スナップの人気スポットだ。多くの人が並んで順番を待っている。
東京湾の向こうには、千葉の木更津方面がくっきりと見える。虎ノ門方面も随分高層ビルが建っている。
真下を見ると、谷底の渋谷から、四方八方に放射状に道路が延びている。パリの凱旋門の上から見た放射状の街並みには及ばないが、整然と整備されている姿を見ることができる。
(月刊『コア』掲載加筆修正